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​歴代住職伝

元禄3(1690)年頃に書かれた過去帳に

長楽寺は開基 北条義時 (1163~1224)  

    開山 賢隆(三浦ノ人ナリ)とある    

 

また明治12年11月15日に金蔵院住職小林妙祥によって書かれた書類には

由緒として元久元甲子年5月15日弘法大師14世法孫大僧都賢隆開山とある

 

1204年5月15日弘法大師14世法孫賢隆長楽寺開山

1250年長楽寺開山賢隆、寂

1261年長楽寺本尊阿弥陀如来建立 

1274年長楽寺2代賢宕、寂

1291年長楽寺3代隆慶、寂

1305年長楽寺4代良政、寂

    長楽寺5代尊隆、寂

    長楽寺6代慶伝、寂

1579年長楽寺7代專須、寂

1603年長楽寺8代成親、寂

1676年長楽寺9代秀榮、寂

1680年長楽寺10代長榮、寂

1682年長楽寺11代秀善、寂

1684年長楽寺12代英山、寂

1688年隆長、阿弥陀如来再興

1690年長楽寺13代元龍、寂

1692年長楽寺法印権大僧都隆長、八幡宮造立棟札

1698年金蔵院7代隆允、寂

1699年長楽寺14代賢宥、寂

1702年隆長、田売渡証文

1707年長楽寺15代隆長、寂

1708年金蔵院8代尊榮、寂

1711年玉榮、八幡宮新建立

1716年長楽寺16代隆算、寂

1717年金蔵院小山寺11代式允、什物を求める

1720年金蔵院10代式雄、寂

1731年長楽寺17代玉榮、寂

1738年了成、東田原八幡宮成就

1741年金蔵院9代覺精、寂

1742年晃山淳胤、長楽寺7代專須の先師伝残す

1745年金蔵院法印晃山、羽根須賀神社牛頭天王宮新造棟札

1748年長楽寺18代了成、寂

1755年長楽寺19代深良、寂

1757年金蔵院11代式允、寂

1761年長楽寺20代仰範、寂

    長楽寺21代須長、寂

1784年了雲、藤助より大乗院という除地を買い取り山神社建立

1786年金蔵院12代了雲、寂

1795年金蔵院16代智雄、寂

1797年大乗院除地に山神社修造

1798年金蔵院諦央住職

※棟札より

  • 表(梵字サ) 奉修造稲荷社五穀成熟院内(解読不明)祥不退祈所

右 文化元甲子稔    田原山 小山寺

左 三月中十日     金藏院大阿梨諦央

  裏(梵字オンロケイキャロロジャキリクソワカ) 

若末法世人 長誦此真言 刀兵不能害 水火不焚漂(金剛峯樓閣一切瑜伽瑜祇經)

 

  • 表(梵字カーン) 奉造立金毘羅大権現社○○昇平密教紹隆福智増長祈

右 文化元甲子年  田原山小山寺

左 三月大吉祥日  金蔵院大阿遮梨諦央

裏 ノウマクサンマンダバザラダンセンダマカロシャダソワタヤウンタラタカンマン

  阿遮一睨 業壽風定 多隷三喝 無明波涸 (秘蔵宝鑰)

 

  • 表(梵字カ?) 奉造立金毘羅大権現覆?(雨冠に復)殿一宇如意祈攸

右 天下泰平 家内安全 干時文政十二星次巳丑

左 国土安穏 息災延命   正月十日

裏(梵字シリー ボロン) 大導師金蔵院

  講中  吉左エ門  嘉七

      冨八    権右エ門   大工

      岩右エ門  新助       冨八

      仲右エ門  庄助       新助

      利右エ門  利左エ門     権右エ門

      傳左エ門  太郎兵衛

                                                                                    

1801年金蔵院17代諦央、寂

1804年北嶺、長楽寺金蔵院両檀家過去霊名を写す

1806年長楽寺22代シュン禮、寂

    長楽寺23代印融、寂

    長楽寺24代源誉、寂

    長楽寺25代快傳、寂

    長楽寺26代快辦、寂

    長楽寺27代伸海、寂

    長楽寺28代源英、寂

    長楽寺29代慶賢、寂

1817年金蔵院18代隆恵、長楽寺無住職につき八幡宮屋根替え

1818年長楽寺無住職の時、火事焼失

    金蔵院18代龍恵、山神社、風神社を石の宮にする

1821年金蔵院無住職の時、火事焼失

1822年智信、本尊阿弥陀如来再興

1829年4月 30代智信、合寺

1848年31代實阿、伊沢明神再建

1853年32代北嶺、金蔵院住職になる

    長楽寺現住北嶺、八幡宮葺替棟札

1856年北嶺、本堂再建を発願

1858年32代北嶺、寂

1870年31代法印實阿還俗し神主田原衛守と改名

     4月21日 小出定辦、本末帳を提出している

明治4年   小出定辦住職になる(住山披露祝儀受細帳有り) 

明治8年 寺内畑年貢取立帳 金蔵院小出定辦代

明治11年9月9日  小出定辦52歳で病死

   ※小出定辨は住職になっているが歴代住職には含まれていない

   33代小林妙祥住職になる

明治12年12月12日  所有地取調書上には金蔵院住所が西田原55番とあり

             住職は小林妙祥、管長は守野秀善(豊)宛に出している

明治14年金蔵院持地取調地価令小作税金 小林妙祥

明治18年什物取調帳(金蔵院)には立像不動明王(厨子に入って智證大師の作)

                 弘法大師御真筆不動明王画像

※金蔵院先師墓は左から 「辦融」 「智雄」 「作岳了?」 とある

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